うりずん

梅雨入り前の沖縄が、どうしようもなく好きだ。肌をなでる風は優しく、日差しは明るいけれどどこか柔らかい。内地で長く暮らしてきた私にとって、この時期の沖縄は本当に、言葉にできないほど心地良い。

冬の寒さから解放され、かといって夏の強烈な暑さにはまだ遠い。この絶妙なバランスが、私の心と体をふんわりと包み込んでくれる。冬場は、沖縄といえども暖房が必要な日もある。閉め切った部屋で過ごす時間は、どうしても空気が淀んでしまうように感じて、あまり好きになれないのだ。

だからこそ、この梅雨入り前の季節は、私にとって特別な輝きを放つ。沖縄の言葉で「うりずん」と呼ばれるこの時期。内地で生まれ育った私は、そんな美しい言葉があることすら知らなかった。沖縄に移住してきて8年。島の人たちとの何気ない会話の中で、季節の移ろいや自然の恵みについて、たくさんのことを教えてもらった。その一つが、この「うりずん」という響きだった。

初めてこの言葉を耳にした時、その音の優しさに心が惹かれたのを覚えている。「潤い初め(うるおいぞめ)」が語源とも言われるように、草木が生き生きと茂り、大地が潤いに満ち始める頃。まさに、今の沖縄の景色そのものだ。鮮やかな緑が目に優しく、どこを歩いても生命力に満ち溢れている。

朝、鳥のさえずりで目覚める。窓を開けると、爽やかな風がカーテンを揺らし、運んでくるのは潮の香りと草の匂い。ベランダに出ると、太陽の光がキラキラと葉を照らし、その一つひとつがまるで宝石のように輝いている。こんな何気ない日常の風景が、私にとってはかけがえのない宝物だ。

週末には、少し足を伸ばして海辺を散歩するのが好きだ。まだ海水浴には少し早いけれど、波の音を聞きながら砂浜を歩くだけで心が洗われる。潮風が髪を撫で、太陽の光が肌をじんわりと温める。遠くに見える海の青さは、どこまでも深く、吸い込まれそうだ。

公園の木陰では、家族連れが楽しそうにピクニックをしている。子どもたちの笑い声、お弁当の美味しそうな匂い。そんな穏やかな光景を眺めていると、心がじんわりと温かくなる。この「うりずん」の季節は、人々の気持ちもどこか開放的で、ゆったりとした時間が流れているように感じる。

ずっと続いてほしいと心から願うこの「うりずん」の季節だけれど、時の流れは早く、あっという間に過ぎ去ってしまうように感じるのも、またこの季節の特徴なのかもしれない。名残惜しさを感じ始めた頃、沖縄には本格的な梅雨がやって来る。

今年の梅雨は大丈夫だろうか?毎年のように、ニュースでは沖縄各地の冠水被害が報じられる。内地では想像もできないような、激しい雨が降ることがあるのだ。移住した当初は、その雨の勢いにただただ驚くばかりだった。

しかし、沖縄での暮らしが長くなるにつれて、雨に対する意識も変わってきた。沖縄には大きな河川が少なく、生活用水の多くをダムに頼っている。そのため、雨が降らないと、すぐにダムの貯水量が気になるようになるのだ。かつて、深刻な水不足に見舞われた年には、毎日、ダムの貯水量をチェックする日々を送った。雨は時に災害をもたらすけれど、私たちの生活を支える大切な恵みでもあるのだと、改めて感じさせられた。

梅雨の時期は、じめじめとした日が続くけれど、雨上がりの緑は一層と深く鮮やかさを増す。カタツムリがゆっくりと葉の上を這い、雨の雫がキラキラと光る。そんな雨の日の風景も、また趣があって嫌いではない。

そして、梅雨が明ければ、いよいよ沖縄の夏本番。どこまでも青く澄み渡る空と、エメラルドグリーンに輝く海が待っている。強い日差しの中で、思いっきり海で遊んだり、色とりどりの熱帯魚たちと出会ったり。そんな夏の思い出は、私の沖縄生活を彩る大切な宝物だ。

「うりずん」の終わりは、夏の始まりを告げる合図でもある。だから、少しの寂しさを感じつつも、私は夏の到来を心待ちにしている。あの眩しい太陽の下で、また新たな沖縄の魅力を発見できるだろう。

どうか、今年の梅雨は穏やかに過ぎますように。そして、その後に続く夏が、たくさんの笑顔と喜びで溢れますように。今はただ、「うりずん」の心地良い風を感じながら、この美しい季節をゆっくりと味わいたいと思う。


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